あえて無と冬に身をまかせて

お世話になっております、株式会社たかだまなみです。
え、会社?いえいえ、実はこれ”比喩”なんです。
2016年夏に自分を会社に見立て、ウェブで正社員(お婿さん)を募集する活動をすること早一年。
実名顔出しによる婿募集パンチが効いてか、ノリとスピードだけでコラムを書き続けてこられました。

    

しかし最近は、

「もっと本質的で誰かの役に立つことを書きたい」

「都会で酒飲みながら他人の恋愛黒歴史を聞いてばかりだと、自分が病んでくる」

と何かこう……、心の汚泥がモヤモヤ溜まっているのです。
良質なアウトプットには、当然インプットも必要です。

      

しかし誰か地球の自転を速めちゃっているのか、落ち着いて読書しようという気にもならない、忙しい毎日。
昔はバックパッカーとして秘境で冒険したものですが、その気力も湧いてこない。

もしかして、私……疲れてる?

  

<あの頃のアンテナをもう一度>
   

小さい頃のなつやすみは長くて、ちょっと退屈で、でも楽しかった。

虫取りに川遊び、かき氷を作ったり、スイカを割ったり。

ラジオ体操の変わらない音楽、そうめんと花入りの氷、きゅうりのトゲトゲ、夕立が土を濡らす匂い、鑑賞は蛍か花火か星空か。
    

今では何の音もしなくなった。季節の匂いもしない。暑いと入れっぱなしのクーラー。

ケータイに釘付けの人々。会話が弾まない友人。スーパーの味のしないトマト。

一息ついてゆっくりコーヒーを入れても、しなければならないこと、今日のタスクで頭はいっぱい。

もう、都会の暮らしは限界がきているのかもしれない。頭ではわかっているんです。

でも小さい頃のあのアンテナ、錆びついてまた受信できるかどうか、不安。ふあん。

  

<空っぽ だからこそ、たくさん注ぐことができる>
   

文豪は寒い地域の出身が多いと言います。

目の前に草原がないからこそ、あたたかな海がないからこそ、彼らの創造は栄えました。

三戸町を調べた感想は「うわっ!何もねぇ!」

その瞬間、森のむあっとした風や、畑の肥料の発酵臭、ばあちゃんたちの素朴さがすぐそこに感じられたのです。

あえて何も無いところ、冬に好かれた地に行ってみるのもイイ。
私はピカリと閃いてしまったのです。

   

「うわっ!何もねぇ!」

 

無いものは無い。
過剰に褒め称えたり、不安を煽ったりする宣伝にはもう飽きている。
この世代だからこそ伝えられるものがあるのではないか。

空っぽだから、たくさん注ぐことができるし、何か降りてくる。
もしかしたらあの町は、そういう場所かもしれません。

都会にないもの、
私の夏にあったもの、
昔みんなの中にあったものがムクムク立ち上がる妄想をしてみる。

正直、期待して良いのか悪いのか今はまだわかりません。

 

だから、私は三戸町に行ってみたい。

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