Q.「どこかに行きたい」の「どこか」とはどこだろう。

 

山手線の満員電車に乗るたびに、人間って大変だなあ、と他人事のように考える。

 

私の向かいでは血の巡りが悪そうな美人が眉間にシワを寄せ、小さな画面を親指でつっついている。隣では顎を消失させる程度にお肉のついたサラリーマンが窮屈そうにスーツに詰め込まれている。今日も東京は湿度が高い。

 

電車からぺっと吐き出され職場に到着、おはようございます、と部屋全体に一言放って席に着き、画面とをにらめっこをしながらエクセルのマスに文字を打ち込む。今日の私のお仕事は写真集をデーターベースに起こすこと。ひたすらのデスクワークだが、写真を見ることができるという点で元写真学生にとってはまあ苦ではないと感じるのが幸いである。

ページをめくるとそこにあるのは、見たことのない街の至極普通の風景たち。一本の木がそばに佇む朝の静かな港。怖いくらい高い青空の下にあるなんてことのない針金フェンス。日が暮れてカーテンを透かして灯る家々の明かり。よくある写真旅行記だ。なのにひとつの強い正直な感情がどうしようもなく湧き上がる。

 

「あー、どこか行きたい!!!」

 

机の下でこっそりと足をぱたぱたさせて目をぎゅっと閉じる。この東京のビル群の中で心の中でそう叫んでいる人は私以外にもいるはずだ。今日の山手線にいた血行不良美人も、スーツ詰めサラリーマンも、内心どこかに行きたくて地団駄踏んでいたに違いない!

 

どっか行きたい、どっか行きたい。どっか行きたい。
どこか行こう!もう、みんなでどこかに行こう!

 

そんなこと脳内で呟いていた矢先に見つけたのが、この三戸町ライティングコンテストであった。公式ホームページをチェックする。ああ、これぞ私たちが求めている「どこか」ってやつではないだろうか。

 

静かで平和で空気の美味しそうなところ。行く、というより帰る。物珍しさ、というより懐かしさ。20年と少ししか生きてないやつの懐かしさなんてたかが知れてると言われるかもしれないが、世の中はすごいスピードで進んでいるのだ。20代だってどこかに帰りたくなる時だってある!

 

町が推している一つ一つに目を通してみた。

県立城山公園。私の地元の城下公園によく似ている。春祭りの屋台が並ぶ姿がなんだか懐かしい。

お試し暮らし物件。楽しそう。広い。普通の物件も広くて安い…立地の差があることは分かっているが、東京の物件の高さ狭さを再確認して悲しくなる。

 

三戸りんご。やはり青森、りんごが美味しそうである。実際に果物が木になってる姿なんてここ最近見ていない。スーパーでひょいひょいと気軽に買えるだけに、農作物への敬意を払うのを忘れてしまう日々である。とてもよくない。農家の人に叱ってもらわねば…

 

 

…結果、知らない街を歩いている自分を想像してとても楽しい気持ちになった。自然の写真を撮りたくなった。感じたことを綴ってみたくなった。そこで感じたことが素敵なことなら、大切な人に話してあげたくなったのである。

都会を否定するつもりはない。田舎を馬鹿にするつもりもない。だが都会にはなんでもあるが、なんにもない気がするのもまた然り。一方三戸町、「なんにもなさそうだけどなんでもある」気がするぞ…

 

行けばきっと楽しい。何かが変わる気がする、話はそれからだ。だから、三戸町に行ってみたい。

 

(画像出典:http://www.town.sannohe.aomori.jp/wordpress/

 

 

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